七福神
▼江戸の谷中七福神「近ごろ正月初出に、七福神参りといふこと始まりて、遊人多く参詣することとなれり。その七福神とは、不忍の弁財天、谷中感応寺の毘沙門天、同所長安寺の寿老人、日暮の里青雲寺の恵比須・大黒・布袋、田端西行庵の福禄寿なり。近ごろ年々にて福神詣でする人多くなれり」 『享和雑記』より
▼七福神めぐりの起源七福神は、室町時代末期に成立、江戸時代になって七福神めぐりという形態が確立。江戸後期には正月松の内に巡る習慣ができる。
▼七福神のプロフィール恵比須
出身:日本。風貌:烏帽子に狩衣、左脇に鯛を抱えて右手に釣竿。七福神で唯一の日本の神様。「蛭子(ひるこ)」に由来するという説と、「事代主神(ことしろぬしのかみ)」に由来するという説あり。「蛭子」はイザナギとイザナミの子で、三年たっても脚が立たなかったため葦舟に乗せて流し捨てられた。「事代主神」は大国主神の息子。大国主神が天照大神の子孫に国譲りをした際に、それを受諾して姿を消した。
恵比須神には他にも様々な要素が統合され、複雑な性格を持つ。もともと漁場の神、商売繁盛の神様と人気を博す。
大黒天
出身:インド風貌:大きな袋と打出の小槌を持ち、米俵に乗った福々しい姿。ヒンドゥー教のシヴァ神(破壊の神、時間の神)の化身の一つ。サンスクリット語でマハーカーラと呼ばれる神様。「マハー」は「大」、「カーラ」は「黒」の意味。シヴァ神が世界を破壊するときにこの姿になるといわれ恐ろしい表情をしている。仏教に取り入れられてからはお寺を守護する神様となる。日本に入ると「大黒」と「大国」が同じ読みのため、大国主神と習合。出雲の国を治めた大国主神は古事記の「因幡の白兎」にも登場。そのときの装束が現在のような大黒天の姿になった。
弁財天
出身:インド風貌:琵琶をもった美しい女神。もとはインドの河川の神様、水の神様。サンスクリット語でサラスヴァティー。仏教に取り入れられた後、日本に伝えられ、技芸の神としてあがめられた。江戸時代に入ると福徳の神として熱心に信仰されるようになる。水の神様であるため海辺や湖辺に祀られていることが多い。
毘沙門天
出身:インド風貌:七福神の中で唯一、鎧兜をまとい、厳しい表情。インドのヴァイスラヴァナ。仏教に取り入れられてからは、仏法を守護する四天王の一人として北方防備の任を担い、四天王中で最強。四天王での名称は多聞天。(原語の意訳が多聞天、音訳が毘沙門天。)戦勝の神。
寿老人
出身:中国風貌:福禄寿のように頭が長くない。黒い頭巾、白い鬚をたくわえ、巻物をくくりつけた杖を持つ。鹿を連れる。道教が起源。「南極老人星」(竜骨座の「カノープス」)を人格化したもの。いまは主に長寿と幸福の神様として知られる。
福禄寿
出身:中国風貌:頭が長い。白い鬚を生やす。道教が起源。福(幸福)、禄(俸禄・富貴)、寿(寿命)という中国人の三大願望のすべてを授ける福神。寿老人と同一人物とされる。
布袋出身:中国 風貌:巨大な太鼓腹で半裸。七福神中、唯一の実在人物。中国唐代末期の僧。杖と大きな布の袋を携え、放浪生活を送っていた。中国では、布袋は、釈迦の没後56億7千万年ののちに現れ、衆生を救うといわれる「弥勒菩薩」の化身と言われていた。福運と大量のご利益をもたらす福神。
参考文献:宮田登 編『七福神信仰辞典』(戎光祥出版、1998年)、『東京七福神を歩く』(JTBパブリッシング、2007年)